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2015年6月 4日 (木)

狩勝旧線をたどる旅と「大崎ミュージアム」

ワタシは特に鉄道ファンではないが、
世の中には、この世界に関心がある人も多い。

探せば、「廃線をたどる」といったシリーズ本も多数あり
驚かされる。

そんな中、「狩勝旧線」をたどるプログラムがあると知り、
新得町へ行ってみた。

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集合は、狩勝峠を十勝側へ降りる中腹、
3号目にある通称SL広場。

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かつての「新内(にいない)」駅があった場所。
駅舎はカフェとして利用され、ホームにあたる部分には
ブルートレインが3両置かれている。

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この車両はかつては、東京と九州をむすぶ寝台列車だそう。
ここに置かれ「ホテル」として営業していたそうだ。

現在は、資料館として利用されている。

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車両の中。

ここの場所のジオラマがおかれ、
写真など、展示物も見ることができる。

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当時の寝台車。

乗車には、1ヶ月分の給料と同額くらいかかった、
ということから、今でいうと20〜30万円なのだろうか。


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というイントロから始まって、
廃線をめぐるプログラムは車に乗って移動する。

道は、実際に線路があった部分。
「当時はこうでした」というモノクロ写真を見せていただき
時間の経過を実感する。

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新内隧道。
隧道とは、トンネルの呼び名。

立派なデザインがほどこされている。

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100年以上前のもの。

旧狩勝線とは、1907(明治40)年に開通した路線。
北海道の東西を結ぶ、基幹路線だ。

狩勝峠越えをしなくてはならないため、
急勾配と急カーブ、トンネルがつづく
国内有数の難所だったそう。

一方で、雄大な十勝平野を眺められる
「日本三大車窓」の一つとも言われた。

しかし、
あまりの難所に、
1966(昭和41)年、現在の新線に切り替わり、
その役目を終えた。

難所ゆえの技術や工夫やあり
それを垣間見ることができることから
「日本三大鉄道遺産」とも呼ばれているそうだ。

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通称「ハエタタキ」と呼ばれる通信電柱。

今なお、数多く残る。
ワタシには、あまりその価値がわからないが、
ファンはたまらないのだろうなあ。

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100年前のアーチ橋。
ここにも、当時イギリスから伝わった鉄道技術が
詰まっているそうだ。

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そんなガイドをしてくれたのは、新得町在住の大崎和男さん。

昭和14年清水町生まれ。
国鉄・JRで機関士として実際にこの区間を運転していた。

廃線になった翌年から、
個人的に案内をしていたそう。

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大崎さんがスゴいのは、そのご自宅を見れば一目瞭然。

ごくたまに、ありますよね。
「鉄道マニアです」と言っているような外観のお宅を。

スゴいのは、踏切のものが実際に動いて、音を出していること
(らしい)

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「大崎ミュージアム」と名付けられた自宅増築部分。

2階吹き抜けの大空間には鉄道グッズが山ほどある。
いや〜、笑っちゃうほどのコレクションだ。

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数千点はあろうかというコレクションに囲まれる大崎さん。

ここは、居間につながっていて、
居間からも眺められるようになっている。

奥様、さぞかし、ご苦労をされたでしょうねえ・・・
(笑)

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加えて、大崎さんはアーティスト・芸術家でもある。

絵画を始め、現代アート作品づくりをして
展覧会に出展する。

ほかには、
写真も撮るし、自費出版で本は出すし、
北海道新聞では、コラムも寄稿している。

道新文化センターでは、
絵画と写真教室の講師も務めているという。

いや〜、スゴい。
スゴすぎ。

本ちゃんの取材よりも、
こちらの方が楽しかったりして。

すっかり大崎ファンになって
新得のまちをあとにした。

自宅ミュージアムは無料開放しているので
ぜひ、見にいってほしい。

・0156-64-5189


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