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2017年11月28日 (火)

広告代理店への道、その2

広告代理店への道、その2。

大学を卒業して最初に入った会社は
(株)ピーアールセンターという
総合広告代理店だった。

同期より約1ヶ月おくれて、
彼らに言わせれば「横入り」したワタシは、
「媒体営業部」という部に配属された。

鈴木部長率いる、この部は、
文字どおり、媒体を営業する部門。
テレビやラジオといった、今でいうメディアの枠を
一般企業にセールスする仕事だった。

とはいうものの、
右も左もわからぬ新人は、
「飛び込みセールス」を命じられる。

いわゆる、ビルの上から下までローラー。
名刺を渡して、「コンニチワー」とあいさつ。
「なにか宣伝の仕事ありませんか〜」と、
いわゆる飛び込み営業をやっていた。

これは、当時も、今も(?)、
新人営業マンの常套練習として、
リクルート社をはじめ、どの企業もやっていたことだと
後になって知った。

最初の受注は、同期7〜8人いた中で、
最後の方だったように思う。
ホンダクリオ販売店のラジオCMだったことを
今も鮮明に憶えている。

そんな営業マンの洗礼を受けながら、
先輩に同行して、仕事を覚えていく。

チラシ、
ポスター、
メニュー、
看板、
ティッシュ、
などなど・・・

マスメディアの広告以外にも、
あらゆる広告物をつくる作業。

クリエイティブ部の先輩に
怒られながら、
媒体部の人間にせっつかれながら、
時に、経理部門の人に事務処理が遅いと
苦言を呈されながら、
仕事を一つひとつ覚えていった。


入社数年後。
コジマ電器が北海道に進出してきた当時。
ワタシが担当となり、
札幌本店のオープン業務や、
函館店のオープンなど、
折り込みチラシ+テレビCM+細かなツール制作、
といった販売促進活動のすべてを経験していった。

当時の先方部長に鍛えられたことがあって、
現在のワタシがあるように思う。

帰宅は毎日深夜。
終電を通り越して、
毎日、タクシー帰宅した日々もあった。

いまどきの表現で言えば、
ブラック、かもしれないが、
当時の業界はあたりまえ。

東P、西P、と影で呼ばれ、
パブリックセンターとピーアールセンターは、
不夜城として、深夜まで事務所に灯りがついている企業として
業界では有名だった(笑)。


レギュラークライアント担当と、
新規営業担当。

ある年、
和服チェーン店の受注を得ることができた。
その会社の支払いは、業界の慣習で長い手形だった。

180日という6ヶ月後の支払いに
取引を辞めろという声が社内にあった。

議論の末、受注OK。
数ヶ月、折り込みチラシをつくり
販売促進活動をフォローしたが、
その企業は資金繰りが悪く、
半年後に倒産。

結果、
8,000万円ちかい損失を会社に与えてしまった。
この時は落ち込んだ。
涙が出てしまった。

会社を辞めようと、思った。
が、当時の上司や社長からも、
おとがめもなかった。

いっそう業務に専念して
業績で報いようと思って、
目の前の仕事をこなしていった。


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