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2017年11月29日 (水)

広告代理店への道、その3

広告代理店への道、その3。

仕事は、基本、地味でつらいものが多い。
価格表示は、まちがってはならないし、
電話番号なんかは、絶対にミスしてはならない。

基本に忠実。
地道な作業を繰り返す。

そんな中でも、
印象的な仕事はいくつもあった。


・「宮沢りえ、トークショー中止事件」

当時、主演映画の封切りがあり、
人気が出始めていた女優がいた。

この人が映画のプロモーションで札幌にやってくる
ということから、
どこか使いたいスポンサーはいないかと。

札幌駅下の地下広場で、トークショーが企画され、
宣伝をがんがん流し、
人を集めていた。

開始時間にかなりの時間があるのに
その広場は、ひとだかりになり、
殺気立った危険なほど、観客が集まってしまった。

結果、急きょ中止の判断に。

冷や汗たらたら。
スポンサー企業に低頭平身、
謝った。



・「ラジオ番組、半年で打ち切り」

大学教授とのアイデアをベースに、
学生よ、世界を見よう!
留学に出よう、
をコンセプトにしたラジオ番組をつくることになった。

毎週1回、30分番組。

スポンサー集めに苦労して、
2社、提供してもらうことにこぎつけて
番組スタート。

コンセプトは良かったのだが、
内容がまじめすぎたのか、
聴取率も取れず、
結果、スポンサーも半年で止めるとなり、
半年で番組は打ち切りになってしまった。



・「超大型B1チラシの訂正シール貼り事件」

大型店の開店用折り込みチラシに、
配布前、価格のミスが発覚した。

たしか、20万部くらいだったろうか。
刷り直す時間と金額もない。
とかいう理由で、
いったん回収して、体育館のような場所を借りて
アルバイトを大量に集めて、
訂正シールを貼って、
赤帽車を何台も手配して、待たせて、
なんとかギリギリ、
新聞販売所に直配して、間に合った!
という苦い経験は、
今思い出しても、冷や汗もの。



そんなこんなを経験しながら、
回りの人々、
社内、
媒体さん、
取引先。

に助けられて、日々を生きていた。


もちろん、
失敗ばかりではない。

夕張のスキー場の仕事は、
趣味の延長上のことでもあり、
やりがいがあり、楽しい仕事だった。

かっこいいポスターを提案し、
ラジオでミニコーナーを実現し、
ポール専用バーンといった企画も実現できた。

現地に打合せに行けば、
タダでリフトには乗れるし、
クライアントはスキーのインストラクター。
技術もおしえてもらっていた。

分譲マンションの仕事では、
募集の印刷物はもちろん、
モデルルームの装飾や演出。
案内看板や来場イベントまで手掛け、
文字通り、広告だけで見込み客を集客し、
そして、実際の販売までつなげる、
その一連に関わることができた。

広告のすごさを、実感していった。


同時に、
時はバブル崩壊の後ではあったが、
業界は、今思えばすごいバブルだった。

テレビ局からの報奨旅行があり、
社員は順番にあちこちにタダで旅行に行けた。

ワタシも、台湾と東京のマイケルジャクソンツアーに
選んでいただき、参加した。

局のゴルフ接待も日常的にあり、
ゴルフコンペを含めて、やらせてもらえた。

もちろん、こちらからの接待ゴルフもあったし、
他社の大口クライアント担当などは、
毎日!担当者とゴルフするのが仕事!
と言われている営業マンもいたほどだ。

クライアントの社長に、泣き落としで
数字をあげてくる人。

朝、朝礼にはこないし、
日々もなにやっているか分らないけど
実績だけはあげている人など、
あやしい人もいっぱいいた(笑)。


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